俳優として活躍するだけではなく、元内閣総理大臣である小泉純一郎を父を持ち、政治家である小泉進次郎を弟に持つという超エリート家系である小泉孝太郎さん。
小泉孝太郎さんは若い頃、いや、さらに昔の子供のころからイケメンだったらしいぞ!!
気になった私は小泉孝太郎さんの昔から現在までのイケメンっぷりを調査してみました!
また、小泉孝太郎さんのお父さんやお母さんの若い頃の写真も載せているので、是非最後まで読んでみて下さい。
昔の写真と共に振り返る小泉孝太郎の経歴
小泉孝太郎さんは1978年7月10日、神奈川県横須賀市で産まれました。
父は第87~89代内閣総理大臣の小泉純一郎さん、そして母は佳代子さん。
しかし、1983年小泉孝太郎さんが4歳の頃に両親が離婚しており、孝太郎さんは父の元で育ちました。
幼い頃から、顔立ちがはっきりしていて、今の爽やかイケメンの片鱗がすでに現れていますね!
小泉孝太郎さんは、横浜の関東学院六浦小学校に入学し、その後同じ関東学院六浦中学校を経て関東学院六浦高等学校を卒業しています。
高校時代まで硬式野球を続けており、甲子園を目指して日々練習漬けの毎日を送っていましたが、高校2年生の頃、地区予選で腰を痛めてしまい、ベンチ入りもできず、それ以降は応援団長としてスタンドから仲間たちに声援を送っていたといいます。
その頃の思いをインタビューで語っています。
高2のときに椎間板ヘルニアを患って、野球を続けられなくなったんです。気持ちを切り替えて応援団で頑張ろうとしたんですけど、このときの挫折感は実はいまもけっこう残っています。いまだに試合の夢を見るんです。「これに勝てば甲子園に行けるぞ!」というシーンで目が覚める。自分のなかにまだ完全に消えていない悔しさや後悔があるのかもしれません。
引用元:朝日新聞EduA
高校時代を野球一筋で送って来た小泉孝太郎さんは、小泉純一郎の息子ではなく、小泉孝太郎として生きていくにはどうすれば良いかと悩み考えたそうです。
大学に進んで、就活して――というレールから一呼吸置きたかったんです。親には申し訳なかったのですが、いったん立ち止まって考えたかった。高校3年のときの担任がすごく熱心な女性の先生で、親身になって進路について考えてくださって、心の支えになってくれました。「小泉が一番没頭できたり、熱中できたり、一生懸命になれるものを探しなさい」と。
高校を卒業した後、一旦日本大学に進学しましたが、本当に自分がやりたいことは何なのかを考えた結果、俳優を目指して大学を中退されています。
そして父も「無駄に大学の4年間を過ごすんだったら、行かなくてもいい。やりたいことがあれば挑戦すればいい」と言ってくれました。「ただし責任は全部自分が負うんだぞ。就職活動含め、自力でやりなさい」と。これがよかったと思います。「この人、いざとなったら平気で息子を見捨てるぞ!? しっかり生きていかなきゃダメだ」って思いましたから(笑)。そう言われなかったら僕は甘えていたかもしれない。
大学中退後は、2000年に開催された「21世紀の石原裕次郎を捜せ」オーディションに応募するも二次審査で落選するなど、なかなか芸能界に入ることができませんでした。
しかし、2001年に父である小泉純一郎さんが内閣総理大臣になったとたんに、複数の芸能事務所から声が掛かり、見事芸能界入りを果たしました。
孝太郎さん自身が何も努力をしていないとは言いませんが、芸能界に入るチャンスが到来したのは総理の息子という親の七光りパワーが働いたことは確実と思います。
2002年ドラマ『初体験』で俳優デビューした当時は、現役首相の息子としての話題性から注目を浴び、一躍時の人となりました。
当時は、出演したドラマの中でも、小泉純一郎首相の有名なセリフである「感動した!」などといったセリフを言わされるなど、ネタ要因のような扱いを受けている印象がありました。
話題性だけが先行して、お世辞にも実力があったとは言えない状態だった小泉孝太郎さんを気に掛けてくれていたのが、事務所の大先輩であるいかりや長介さんだったのです。
「当時、いかりやさんが役者の大先輩として、いろんな現場も連れていってくださって、移動する車まで一緒でしたからね。今、こういう台本を見て、お前はどう思うんだとか(教えてくれた)。(当時は)僕が20歳そこそこでいかりやさんは70歳ぐらいでしたからね」
引用元:スポニチ
役者としてのいろはをいかりや長介さんに学んだ孝太郎さんは、着実に俳優としての実力を付けていきました。
孝太郎が父親のように慕っていたのが、事務所の先輩でもあった、いかりや長介だ。「役者にはいろいろなタイプがいるけど、今、お前は上を見すぎずにコレをしておけばいい」など、さまざまな役者のイロハ、心構えを教わった。そして、いかりやは必ずこう付け加えたという。
引用元:日刊ゲンダイ
「お前、いかりやに教えてもらってますなんて口が裂けても言うなよ。役者が役者に心構えやテクニックを教えることほど恥ずかしいものはないんだから。師匠はいかりやです、なんて言ったら俺が格好悪くなるからな」
面倒を見ているけれども「決して俺に教わったとかいうなよ」と・・・痺れますね・・・・
俳優デビューから20年以上経ち、数えきれないほどのドラマや映画に出演し、持ち前の爽やかフェイスを活かしてファミリーCMにも多数出演されています。
小泉孝太郎の父は元総理大臣!
小泉孝太郎さんのお父さんは、元総理大臣の小泉純一郎さんであることは有名ですね。
お父さんの昔の写真を見るまでもないと思いますが、孝太郎さんのスッと通った高い鼻は、父親譲りですね!
小泉孝太郎の母は不動産会社勤務のサラリーマンだった
孝太郎さんのお母さんは、宮本佳代子さんです。
2016年に雑誌のインタビュー記事に登場するまで、沈黙を守っていたため、表に出てくることがほとんどありませんでした。
写真当時は60歳ですが、ぱっちり二重の美人です!
孝太郎さんの目はお母さん似なんですね。
雑誌のインタビューで、佳代子さんは子どもたちの容姿についてこのように語っています。
佳代子さんによると、佳長さんは「目が細くていちばん父親似」で、孝太郎さんは目が大きく「いちばん母親似」。進次郎さんは「ちょうど中間の顔」だという。
引用元:J-cast
佳代子さんも、孝太郎さんは目が大きく一番母親似であると言ってますね!
小泉孝太郎さんの両親は、1983年に離婚しており、ずっと離れ離れで暮らしていました。
孝太郎さんは高校2年生になるまで、叔母である道子さんが母であると教えられており、幼かった孝太郎さんは本当の母を知らずに育ちました。
高校2年生の頃に、父から本当の母親について知らされたそうですが、薄々気付いていたと語っています。
因みに、宮本佳代子さんが青山学院大学生の頃の写真はこちら・・・・
めちゃめちゃ美人ですね!
モデルさんと言われても嘘とは思わないくらい美人ですよね。
なんと佳代子さんが大学在学中に、36歳の小泉純一郎さんとお見合い結婚をしています。
宮本佳代子さんの祖父は、エスエス製薬の会長である泰道照山の孫であり、上級国民たちの繋がりでお見合い結婚に至ったようですね。
エリートたちの世界は繋がっているんですねぇ。
その辺のことも気になるのでいつか調べてみようと思います。
まとめ
今回は、小泉孝太郎は昔からイケメン!父と母の良いとこ取りの顔だち!?と題して、小泉孝太郎さんの昔の写真と共に経歴を辿ってみました。
小泉孝太郎さんと両親の写真を見比べてみると、高い鼻筋は父親から、そして大きな目は母親からの贈り物のようですね!
良いバランスで受け継いだものです。
うらやましい爽やかフェイス!
今後歳をとって崩れていくのか、それとも渋さを増してダンディーになっていくのか。
小泉孝太郎さんから目が離せませんね!
最後まで読んで頂きありがとうございました。