長崎が生んだスーパースター福山雅治!
今回は福山雅治の長崎の実家での家族構成と、そこから見える“実に面白い”生い立ちを徹底調査しました!
調べていくと、父親のヤバい噂も・・・
ぜひ最後まで読んでいってください!
福山雅治の実家の家族構成
福山雅治の実家長崎での家族構成は、父親・母親・兄・福山雅治の4人家族でした。
福山雅治が子供のころの家族写真がSNSで公開されています!
父ちゃん、母ちゃん、ただただ、生んでくれてありがとう。福#NHK #ファミリーヒストリー#福山雅治 #BROS1991 pic.twitter.com/tt6TRFJ6LW
— 福山雅治 (@BROS_1991) April 26, 2021
また、他の顔写真も公開されていたので、一人ずつ見ていきたいと思います!
福山雅治の父親について~被爆していた過去~
福山雅治の父親は、『福山明(アキラ)』という名前だそうです。
福山雅治がNHKのファミリーヒストリーに出演した際に、父親の写真が公開されました。
その写真がこちらです。
スーツを着ていて、髪型もビシッと決まっているなかなかの男前ですね!
カッコよくて仕事ができそうな良いお父さんみたいじゃないか!!
と思ってしまいますが、実は当時、福山雅治は父についてはあまり良い印象を持っていなかったと語っています。
というのも、明さんは酒と博打好きで、ほとんど家におらず雀荘に入り浸っており、パート勤めをしていた母親が家計を支えていたというのです。
そしてその稼ぎも父が酒と博打に消えていったそうです。
そんな父でしたが、一応“仕事”はしていたようで福山が語るところによると、父は宅建主任者の免許を持っており、自宅兼事務所の不動産屋である『まるふく不動産』を営んでいたらしい。
しかし、雀荘に入り浸っており事務所には殆どいない為、自宅兼事務所に電話が掛かってきた際には「社長はいません。」とだけ言うように言いつけられていたとも語っています。
福山自身お客さんが来ているところを見たことがないとのことなので、開店休業状態だったと思われます。
福山雅治が高校2年生の頃、明さんは他界しています。
死因は肺ガンだったそうです。
被爆者健康手帳を持つ明さんが癌を患ったのは、被爆が原因ではないかとも言われていますが、真相は不明です。
雀荘に入り浸っていた父親の葬儀に参列したのは、麻雀仲間ばかりで、しかも小指がない・・。
小指の無い麻雀仲間達が泣きながら父の棺桶に麻雀牌を並べる姿を、福山雅治は複雑な気持ちで眺めていたと語っています。
このエピソードが勘違いされて、“福山雅治の父親は小指が無かった”という噂が流れたことがありましたが、飽くまでも“父親の麻雀仲間達の”小指が無かったということだそうで、福山雅治の父親が反社であったという噂はデマであると思われます。
父との思い出は悪いものばかりではなく、福山雅治は良い思い出についても語っています。
ある時、父に頼まれてタバコを買いにおつかいに出かけた福山雅治少年は、近くの店では父に頼まれた銘柄が無かった為、遠くまで買いに行きました。
当然帰りが遅くなり、心配していた母親は雅治少年に「帰りが遅いから心配したやろ!」と声を掛けましたが、意外にも父は違う言葉を掛けたといいます。
それは、『いやいや、雅治は俺が頼んだやつを探して遠くまでわざわざ買いに行ったったい。あきらめずに買いに行ったったい。こいつは根性だけはあるんだ』という誉め言葉だったそうです。
この出来事が、福山雅治が単身上京して以降、「こいつは根性だけはあるんだ」という言葉が支えとなって頑張って来れたと、良き思い出として語っていました。
単身上京して芸能界で成功を収めた福山雅治は、2020年のデビュー30周年記念アルバムのタイトルを、父の明さんの名前から「AKIRA」と命名しています。
福山雅治の母親
福山雅治の母は、福山勝子(かつこ)さんと言います。
公開されている勝子さんの写真がこちら↓
笑顔の感じが福山雅治の雰囲気と似ています!さすがお母さん!
福山雅治の子供の頃の写真を見ると、母親似であることが良くわかります↓
勝子さんと明さんは昭和40年に稲佐山の駄菓子屋で出会い、勝子さんに一目ぼれした明さんが猛アタックの末、昭和42年に結婚し、翌年に長男が、そして昭和44年に福山雅治が誕生しています。
福山雅治が語ったところによると、前述もした通り、福山家の家計はパート勤めをしていた母の勝子さんが支えていたそうです。
福山雅治は、高校卒業後には母親を安心させるために地元の会社に就職して社会人として暮らしていました。
勝子さんは息子に過干渉なところがあったらしく、帰りが遅かったり、家に彼女を連れてきたりすることに対しても色々と口を出してきたそうです。
そんな過干渉な母親に対して反発する気持ちがある反面、今まで育ててくれた感謝の念から母を無下にすることができないという気持ちがあったと、福山は後に語っています。
苦労して育てた大切な息子に対しては、母親はどうしても過干渉になってしまう生き物なのではないでしょうか。
福山雅治の兄
福山雅治には、1つ上の兄である福山一明(かずあき)さんがいます。
福山雅治曰く、兄の一明さんは「(自分とは)似ておらず、所ジョージに似ている」とのこと。
一明さんの写真がこちら↓
面長で、父の明さんにそっくりな感じですね!
兄の一明さんは、自衛官だそうです。
そして、既婚者で、長男、長女、次男の子宝にも恵まれてらっしゃるそうです。
小さいころから甥っ子や姪っ子は福山雅治になついていたようで「マシャおじちゃん」と呼ばれていたとか・・・親戚が福山雅治って、すごく自慢できそう!
実は福山雅治が音楽活動を始めたきっかけを作ったのは、兄の一明さんだと言われています。
というのも、福山雅治が中学校に上がったと同時に、吹奏楽部へ入部するように誘い、プライベートでは共に「LAR」というバンドを組んでいました。
バンドでは、福山雅治がギター、一明さんはドラムを担当し、青春時代を共に音楽で過ごしたそうです。
一明さんが現在も音楽を続けているのかは不明ですが、自衛隊内でも音楽をしているかもしれないですね!
まとめ
今回は福山雅治の実家の家族について情報をまとめました!
福山雅治の実家の家族構成は、下記の4人でした。
- 父:明(あきら)さん
- 母:勝子(かつこ)さん
- 長男(兄):一明(かずあき)さん
- 次男:福山雅治
福山雅治の実家の家族について調べると、長崎で苦労してきたんだなということがとてもよくわかりましたね!
最後まで読んで頂きありがとうございました。
時間があればぜひ他の記事も読んでいってください!