明石家さんま飛行機事故を奇跡的に回避した真相!生きてるだけでまるもうけ!

お笑いモンスターとして、お笑い界だけではなく日本の芸能界の頂点に君臨し続ける明石家さんまさん

自身の実力もさることながら、強運も持ち合わせていないと芸能界では生きていけませんが、仕事だけではなくプライベートでの出来事でも奇跡的な強運を発揮した出来事がありました。

それは、1985年8月12日に起きた日本航空123便墜落事故に関係があります!

今回は、さんまさんが日本航空JAL123便墜落事故を奇跡的に回避した出来事の真相について調べました。

目次

日本航空123便墜落事故とは

日本航空132便墜落事故は、1985年8月12日に羽田空港から伊丹空港へ向かう日本航空JAL123便が18時56分30秒ごろ群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根に墜落した事故です。

乗客乗員524人の内、死者520人という、単独機では世界最多の死者を出した飛行機事故です。
(単独複数機合わせた死者数世界最多は1977年発生のテネリフェ空港ジャンボ機衝突事故です。死者583人。)

運輸省航空事故調査委員会による公表では、事後原因は1978年(昭和53年)6月2日に伊丹空港で起こした「しりもち事故」後の不適切修理による破損が原因であるとしています。

しかし、今尚真相は謎に包まれており、米軍のミサイルによって撃ち落とされたなどの陰謀説もある飛行機事故です。

明石家さんま奇跡の飛行機事故回避の真相

日本航空JAL123便墜落事故発生の当日(1985年8月12日月曜日)、さんまさんは東京での人気お笑いバラエティ番組『オレたちひょうきん族』の収録後、大阪でのラジオ番組『ヤングタウン』の仕事に向かう予定でした。

月曜日に東京から大阪に向かう際には、いつもこのJAL123便を使っていましたが、この日は『オレたちひょうきん族』の収録がいつもより早く終わったため、JAL123便をキャンセルして一つ前の便に繰り上げ大阪へ向かいました。

もしひょうきん族の収録がいつも通り終わっていたら・・・・
もしひょうきん族の収録が早く終わっていても、便を変更しなかったら・・・


何か一つでも状況が違っていたら回避できなかった飛行機事故。

後に、さんまさんは、この事故以降は新幹線で行けるところは飛行機を使わずになるべく新幹線を使うようにしていると語っています。

さんまさんの強運を良く表すエピソードですよね!

また、この時の経験などもあり、さんまさんが座右の銘としていた「生きてるだけでまるもうけ」が生まれたそうです。

この座右の銘は、娘のIMALUさんの名前の由来にもなっています

日本航空123便墜落事故で亡くなった著名人

JAL123便墜落事故では、多くの著名人の方たちが搭乗しており、命を落としています。

JAL123便墜落事故で亡くなった著名人はこちらの方たちです。

坂本九(歌手)

北原遥子(女優・元宝塚歌劇団雪組娘役)

中埜肇(阪神電気鉄道専務取締役鉄道事業本部長・阪神タイガース球団社長)

石田一雄(阪神電気鉄道常務取締役)

石野喜一(神栄石野証券(現・SMBC日興証券)代表取締役社長)

浦上郁夫(ハウス食品工業(現・ハウス食品グループ本社)代表取締役社長)

塚原仲晃(医学博士・大阪大学基礎工学部教授)

辻昌憲(元自転車競技選手・シマノレーシング監督)

竹下元章(元広島カープ捕手、指月電機製作所社員)

緋本こりん(同人漫画家)

藤島克彦(コピーライター)

山本幸男(ミサワホーム専務取締役)

和田浩太郎(美容研究家、ミス日本審査員、和田静郎の長男)

参照元:wikipedia

最も有名なのが、当時大人気だった歌手の坂本九さんですね。

坂本九さんは、元マネージャーの選挙応援の為に大阪へ向かう途中で墜落事故に巻き込まれました。

芸能人の他にも、大企業の役員や元スポーツ選手など多くの著名人が搭乗していたんですよね。

東京~大阪間は、日本でも最もビジネスでの行き来する人が多い区間なので、このように多くの著名人が亡くなるということが起こりました。

日本航空123便墜落事故を回避した著名人

さんまさんと同様、便のキャンセルや満員の為にやむなく他の便を選択して事故を回避した著名人も沢山いました。

こちらが運よく事故を回避した著名人の方たちです。

麻実れい(女優)

逸見政孝

稲川淳二

久万俊二郎(阪神電気鉄道社長・阪神タイガースオーナー)

佐々木正(電子工学技術者、シャープ副社長)

勝谷誠彦(コラムニスト)

当時の笑点メンバー(五代目三遊亭圓楽、桂歌丸、林家木久扇(当時、初代木久蔵)、林家こん平、三遊亭小遊三、六代目三遊亭円楽、7代目桂才賀、山田隆夫)

ジャニー喜多川

少年隊(錦織一清、植草克秀、東山紀之)

木戸克彦(阪神タイガース)

舛添要一

大西満(釣り師)

参照元:wikipedia

もう亡くなられていますが、ジャニーズのジャニー喜多川さんがもし搭乗していたら、後のSMAPや嵐などの超人気グループは生まれずに、芸能界の勢力図が変わっていたかもしれませんね。

また、当時の笑点メンバー全員がいなくなっていたら、番組はどうなっていたのでしょうか・・・

そして、私も好きなのですが稲川淳二さんが事故を回避してくれたことで、毎年楽しみにしている怪談を聞くことができています!

まとめ

今回は、明石家さんまさんの強運エピソードの一つである、日本航空JAL123便墜落事故回避についてまとめました!

さんまさんは、東京での仕事が早めに終わり、飛行機を1本早めたことで墜落事故を回避するという奇跡的な偶然を引き起こしていました。

やはりさんまさんは“もっている男”なのでしょう!

日本航空JAL123便墜落事故についても、風化させずに語り継いで行くべき事故ですよね。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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