木村昴はハーフだが正確にはドイツではない?両親や妹についても調べました!

中学2年生の頃から国民的人気アニメ『ドラえもん』ジャイアンの2代目声優を務め、大河ドラマ『どうする家康』でも徳川家康の家臣・渡辺守綱役を演じるなど俳優としても活躍している木村昴

木村昴はハーフであると公表していますが、意外とどこのハーフなのか知らない人も多いようです。

今回は、木村昴はどこの国のハーフなのか?や、国籍や両親、兄弟姉妹のことを詳しく調べました!

ぜひ最後まで読んでいってくださいね(^^)/

木村昴はドイツと日本のハーフで、国籍はどこ?

出典元:アニメイトタイムズ

木村昴はドイツ人の父親と、日本人の母親との間に生まれた日本国籍のハーフです。

木村昴もX(旧twitter)でドイツ×日本のハーフであることを公表しています。

出典元:X

木村昴の本名であるドイツ名は、スバル・サミュエル・バーチュ(Subaru Samuel Bartsch)で、木村姓は母方の苗字だそうです。

名前の昴は、日本人の母方の祖母が谷村新司の名曲『昴』からつけた名前だそうです。

木村昴は1990年6月3日にドイツで生まれました。

時期的には東西ドイツ統一された1990年10月3日より半年前の誕生だったので、正確な出身は東ドイツのマクデブルク県ブランケンブルクになります。

現在は東ドイツの県制は廃止され、ザクセン=アンハルト州となっています。

木村昴は両親と妹1人の4人家族で、生まれてから7歳になるまでドイツで生活していましたが1997年に母親と妹の3人で日本に引っ越してきてからは東京で3人暮らしをしていました。

詳しくは後述しますが、両親は既に離婚しており、日本に帰国した時点で母と同じ日本国籍になったのではないかと思われます。

日本に来た頃の木村昴は、日本語は全く話せませんでした。

どうせ日本語を勉強するなら楽しくできればよいという母の考えがあり、何かやりたいことはないかと思っていた時に偶然新聞広告に入っていた児童劇団の募集広告を見付けて、近所の劇団日本児童のオーディションを受けて劇団に所属しました。

木村昴はヒップホップが大好きで、日本語を覚えるために日本のヒップホップも活用して覚えたそうです。

また、木村昴は英語も話せるのですが、英語の勉強法にもヒップホップをうまく活用してマスターしたとのこと。

木村昴は元々母国語だったドイツ語と、楽しみながらマスターした日本語と英語の3か国語を話すことができます。

木村昴プロフィール情報まとめ

本名:スバル・サミュエル・バーチュ(Subaru Samuel Bartsch)
日本名:木村昴
生年月日:1990年6月29日
血液型:O型
国籍:日本
出身地:旧東ドイツ マクデブルク県ブランケンブルク

木村昴の両親

出典元:『激レアさんを連れてきた。』

木村昴はドイツ人の父親と日本人の母親の間に生まれたました。

木村昴の両親についてみていきましょう。

木村昴の父親

木村昴の父親:ヨズア・バルチュさん
出典元:pmf

木村昴の父親は、ドイツ人の元オペラ歌手ヨズア・バルチュJosua Bartsch)さんです。
(木村昴の本名のスバル・サミュエル・“バーチュ”“バルチュ”は日本語表記の違いで同じ発音です)

現在は武蔵野音楽大学の准教授として、ドイツ語や発声法の講師を務められています。

武蔵野音楽大学以外にも、中央大学早稲田大学でも非常勤講師として教壇に立たれているようです。

【職歴】
1984~1985年 ヴィッテンベルク市エルベ・エルスター劇場と契約、歌手・ダンサー・司会を務める。
1999年 中央大学非常勤講師(現在に至る)
2000年 早稲田大学非常勤講師(現在に至る)
2000年 武蔵野音楽大学非常勤講師
2000年 フライブルク大学客員講師
2002年 くらしき作陽音楽大学非常勤講師
2004年 武蔵野音楽大学専任講師
2006年 大阪音楽大学特任講師
2017年 武蔵野音楽大学准教授(現在に至る)

引用元:武蔵野音楽大学HP

このように、現在は日本で仕事をされているヨズアさんですが、ドイツではオペラ歌手をされていました。

出典元:『徹子の部屋』

ヨズアさんの母方は代々牧師の家系で、父方は代々医者の家系というお堅い家系の中で育ったそうですが、自身が好きな音楽の道に進み、ライプツィヒ・フェリックス・メンデルスゾーン=バルトルディ音楽大学にて声楽や歌唱発声法等を学び、ドイツの歌手国家試験に合格しているという努力の人です。

1990~1997年にはライプツィヒ歌劇場でオペラ歌手として活動し、東京に拠点を移した後は舞台やコンサートにおける専門用語としてのドイツ語を教えたり、様々な楽団に発声法の指導を行っていました。

1998年以降はNHKのラジオやテレビのドイツ語講座に出演もしていたそうです。

2013年には木村昴がナレーションを担当していたNHKのドイツ語講座の講師としてヨズアさんが出演しており、親子共演が実現しました。

木村昴の母親は

木村昴の母親は、日本人でドイツで声楽家として活躍されていたそうです。

名前は克美(かつみ)さんと言います。

克美さんは、ドイツのライプツィヒにある聖トーマス協会でソリストをしていました。

聖トーマス協会といえば、中世ヨーロッパの有名な音楽家バッハが教会音楽監督を務め、その生涯をライプツィヒで過ごしたことで有名な場所です。

木村昴の父親であるヨズアさんと克美さんの出会いについては不明ですが、ヨズアさんは聖トーマス教会合唱団音楽監督のゴットホルト・シュヴァルツに師事していたこともあるので、おそらく聖トーマス協会での縁で結婚に至ったのではないかと思われます。

そして、木村昴が7歳になる1997年には克美さん、木村昴とその妹の3人で日本に引っ越してきました。

克美さんとヨズアさんが離婚された時期は不明ですが、おそらく3人が日本に引っ越してきた頃には離婚していたのではないかと思われます。

日本に引っ越してきてからは、木村昴と妹さんを母子家庭の女手一つで育ててくれたそうです。

木村昴は、2023年7月7日放送の『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』にゲスト出演した際に、母克美さんの印象について以下のようにコメントしていました。

「めっちゃ怒りますよ。めっちゃ怖かったですよ。ジャイアンのお母さんを想像していただけたら」としつつも「一番の味方でいてくれるお母さんでした」と振り返った。

引用元:スポニチ

ジャイアンの母ちゃんらしく、厳しくも愛情深い母親エピソードがあります。

それは木村昴が小さい頃に日本に来て家族3人で電車の座席に座っていたところ、車内が混んできたときに木村昴の前に立っていたおじさんが「外国人のチビがなに偉そうに座ってんだよ」と心無い言葉を吐いたそうです。

それを聞いた克美さんはブチギレ。

おじさんの胸倉を掴んで「謝りなさい!」と喧嘩に発展。

電車が駅についてからも、おじさんを引きずりおろして駅のホームでも喧嘩を続行し、相手が謝るまで一歩も引きさがらなかったそうです。

わが子に向けられた理不尽な言葉に我慢がならなかったのでしょう。

どういった経緯で東ドイツにいたのかはわかりませんが、米ソ冷戦時代の東ドイツで日本人が生活していくに際して、克美さんも心無い理不尽な仕打ちを受けてこられたのかもしれません。

厳しい時代に海外で生活していたことを考えると、克美さんが厳しく迫力のある女性だということも何だか納得です。

愛情深い面もありながら、少々自分の夢を子供に押し付けてしまう一面もあったらしく、こんなエピソードもあります。

克美さんの意向で木村昴は4歳の頃からヴァイオリンを習っていました。

克美さんは、木村昴の演奏するヴァイオリンのオーケストラと共にステージで歌うことが夢だったとのことで、息子に厳しくヴァイオリンを習わせていたそうです。

木村昴は練習を強要されたことでヴァイオリンがどんどん嫌いになり、ヴァイオリンのケースを開いただけで気絶してしまったこともあるそうです・・・。

嫌々ながらも続けさせられていたヴァイオリンでしたが、とあることがきっかけで14歳の頃に10年間続けてきたヴァイオリンをやめてしまいました。

なんと木村昴はヴァイオリンの演奏が嫌すぎて演奏会の時にステージ上で気絶し、バターンと後ろに倒れてしまったそうです。

それ以来、“ヴァイオリンが目の前にあるだけでどうなるかわかならい”というほどのトラウマになってしまったと語っています。

スパルタ英才教育として厳しいくヴァイオリンを習わせてきたお母さんも、さすがに息子がステージ上でヴァイオリンを弾きながら気絶して倒れたら、辞めさせざるを得ないでしょうね(^_^;)

そんな木村昴のお母さん克美さんは、2020年までは都内で木村昴と2人で生活していましたが、現在は木村昴の妹とニューヨークで生活をされているそうです。