赤塚不二夫の前妻と後妻の奇妙な関係とは?我が子にヌードを迫る仰天エピソードも!

おそ松くん、天才バカボン、ひみつのアッコちゃんなど数々の大ヒット作品を世に送り出した昭和の天才ギャグマンガ家、赤塚不二夫さん

赤塚不二夫さんは2度の結婚歴があり、前妻と後妻との関係が普通では考えられないような奇妙な関係であると噂されています!

今回は、赤塚不二夫さんの前妻と後妻はどんな人で、どういう風に奇妙な関係だったのかを調べました。

また、赤塚不二夫さんの子供についても調べて書いているので、ぜひ最後まで読んでいってください!

赤塚不二夫の前妻と後妻の奇妙な関係とは?

赤塚不二夫さんは2度の結婚をしています。

前妻が、稲生登茂子さん

後妻が、鈴木眞知子さんです。

赤塚不二夫さんは2度の結婚をしていますが、なんと2度目の結婚を勧めたのは前妻である登茂子さんだというのです。

赤塚さんと登茂子さんは1961年(赤塚さん:26歳 登茂子さん:21歳)に結婚し、1973年に3年間の別居を経て正式に離婚。

離婚後、夜遊びと酒量が増えアルコール依存症で苦しんでいた赤塚不二夫さんをサポートしていたのは、写真家の国玉照雄さんの元アシスタントで、スタイリストの眞知子さんでした。

赤塚さんと離婚した後も、生活や体調を心配していた登茂子さんは、眞知子さんに赤塚さんと結婚するように後押しし、結婚の保証人にもなったというので驚きです!

保証人になっただけでも驚きなのですが、なんと赤塚さんと眞知子さんの結婚報告会見には、赤塚さん、妻の眞知子さん、そして前妻の登茂子さんと3人で登場するという驚きの会見を開いたのです後述するさんも同席していたそうです

登茂子さんと眞知子さんは仲がとてもよく、前妻である登茂子さんは後妻の眞知子さんのことを、とても褒めており、また当の赤塚さんは離婚した後も登茂子さんの事を“ママ”と呼ぶなど、普通では考えられないとても奇妙な関係となっていました。

前妻と後妻の2人の交流は、生涯続いたそうです。

そんな2人はどんな人だったのでしょうか?気になる人物像を調査してまとめました!

赤塚不二夫の前妻はどんな人?

赤塚不二夫さんの前妻である登茂子さんは、赤塚さん以上にぶっ飛んだ人だったそうです。

登茂子さんは元々はイラストレーター志望のアーティスティックで笑いの感性も鋭い女性で、赤塚さんは六つ子の兄弟が織りなすハチャメチャギャグ漫画のおそ松くんは、元々双子で描くつもりだったのですが、登茂子さんが「それじゃ面白くないから12人にしなさいよ」とぶっ飛んだアドバイスをしたそうです。

さすがの赤塚さんも12人は多いな・・・という事で、半分の六つ子にしておそ松くんを執筆して、大ヒットに繋がったという逸話もあります!

また、登茂子さんは六本木のクラブに最新のファッションで通ったり、レースに参加したいとのことでモータースポーツライセンスB級を取得し、1968年に赤塚不二夫さんが設立したフジオ・プロダクションでレーシングチーム「ZENY」を結成しています。

そして、前述した通り1973年に3年の別居を経て赤塚さんと正式に離婚しました。

離婚理由は、赤塚不二夫さんの人生をドラマ化したNHKドラマ『バカボンのパパよりバカなパパ』では赤塚さんの女遊び、夜遊びに対して不満がたまっていた登茂子さんから離婚を切り出したと描かれていますが、実際は超のつくほどマザコンだった赤塚さんのお母さんが亡くなった後、登茂子さんが赤塚さんの母親代わりができなかったことが原因だったとも言われているそうです。

赤塚不二夫さんの幼少期(両親と)

赤塚さんは元々旧日本帝国時代に生まれ、満州国出身なのですが、日本敗戦の終戦後には父親がソ連に連れていかれ4年間シベリア抑留という憂き目に遭ってしまいます。

赤塚さんの兄弟姉妹は5人おり、赤塚さんは長男で6人兄弟だったのですが、満州から引き揚げている途中と引き上げ後奈良県に着いた直後までに1人は養子に出し、2人は悲しくも亡くなってしまった為、短期間のうちに赤塚さんの母は3人の子供を失うことになってしまいました。

そんな中でも女手一つで守ってくれたお母さんの事を愛おしく思う気持ちは人一倍強かったのだと思います。

おそ松くんのお母さん松代のモデルは赤塚さんの母親とのことで、厳しくも子供たちを優しく見守る逞しいお母さん像を投影したものだと思われます。

赤塚さんのお母さんは、1970年3月に不慮のガス爆発事故に巻き込まれ入院することになりますが、一命を取り留めて退院するも、すぐにくも膜下出血により再入院し、脳死状態となってしまいます。

そして同年8月20日には59歳という若さでこの世を去りました。

この年から登茂子さんと別居状態となっており、離婚理由は“登茂子さんが赤塚さんの母親代わりになれなかったからだ”と言われる所以となっています。

実際に離婚を切り出したのは赤塚さんからだと言われており、赤塚さんはどうせ離婚しないだろうと思っていたそうですが、そこは普通の感覚ではないぶっ飛んだ女性である登茂子さん、あっさりと離婚を受け入れてしまったそうです・・・。

離婚を受け入れられてしまった赤塚さんの心境はどのようなものだったのでしょうか・・・

離婚はしたものの、登茂子さんは赤塚さんの生活や体調のことは心配されていたようで、赤塚さんがアルコール依存症に苦しんでいた時にサポートをしてた後に赤塚さんの再婚相手となる眞知子さんに赤塚さんと結婚するように後押しをするなどしています。

後押しするだけではなく、赤塚さんと眞知子さんの結婚の際には、婚姻届の承認欄にサインする証人にまでなるなど、ぶっとんだ関係を続けていました。

登茂子さんは赤塚不二夫さんが亡くなる三日前の2008年7月30日に病によりこの世を去りました。

赤塚さんが亡くなる3日前というとても偶然とは思えない奇跡的なタイミングで逝去されており、赤塚さんとの運命を感じざるをえません。

赤塚不二夫の後妻はどんな人?

赤塚さんが再婚した眞知子さんは、写真家の国玉照雄さんの元アシスタントで、スタイリストでした。

そして、1978年からは赤塚不二夫さんのアシスタントとして働いており、アルコール依存症の赤塚さんのサポートもしていました。


驚くことに眞知子さんと、前妻の登茂子さんを繋げたのは、なんと赤塚さんの娘さんだそうです!

後述もしますが、赤塚さんの娘さんはりえ子さんといいます。

りえ子さんが中学生の頃に、赤塚さんから連絡があり一緒に食事をすることになったらしいのですが、その際に赤塚さんが連れてきた女性が眞知子さんだったそうです。

りえ子さん曰く、赤塚さんが眞知子さんと2人で食事に行くのが恥ずかしかったから娘を呼んだのではないかということでした。

眞知子さんと初めて会って話したりえ子さんは、眞知子さんがとても面白い人だったので、登茂子さんと会わせたら絶対に気が合うだろうなと思い、2人を引き合わせたところ意気投合して仲良くなってしまったとのことw

眞知子さんの人となりを知った前妻の登茂子さんはとても眞知子さんの事を気に入り、赤塚さんにも「眞知子さんと籍をいれた方がいいんじゃない?」と後押しするようになったそうです。

そして、前妻登茂子さんの後押しもあり1987年に眞知子さんは赤塚さんと結婚しました。

2002年からは赤塚不二夫さんに継ぎ、フジオ・プロダクションの二代目社長となり赤塚作品の著作権管理などを行うとともに、病で入院している赤塚さんを献身的に看病するなど、公私共に赤塚さんをサポートしてきました。

赤塚さんをサポートし続けてきた眞知子さんでしたが、2006年6月にくも膜下出血で倒れ、手術を受けて手話ができるほどに回復しましたが、容体が急変し7月12日に57歳という若さで帰らぬ人となりました。

赤塚さんのお母さんと同じ、くも膜下出血が原因での逝去も、なんだか運命的な偶然を感じてしまうのは私だけでしょうか。

色々と苦労はあったのだと思いますが、赤塚さんはこのように2人の素敵な奥さんを持ててとても幸せだったのではないかと思います。

登茂子さんも眞知子さんも素敵な女性だったんですね。

赤塚不二夫の子供は何人?どんな人?

赤塚不二夫さんには、前妻の登茂子さんとの間に娘さんが1人います。

娘さんはフジオ・プロダクション現社長の赤塚りえ子さんです。

赤塚りえ子さんは、1965年生まれで2022年現在で57歳です。

りえ子さんが8歳の頃に、赤塚さんと登茂子さんが離婚しています。

りえ子さんは19歳の頃に女優として唄啓劇団に所属し時代劇に出たり、ギャグ劇団「東京ギャグポンプ」でも活動していましたが、1年半程で女優業を休業していた20歳の頃に有名写真家の長友健二さんと一緒に飲んでいた赤塚さんから呼び出されて『お前ヌードになれ!』と要求されたそうです・・・どんな父親だ(;’∀’)

りえ子さんも咄嗟に「嫌だ!」と返答したそうです(当たり前だ!)が、赤塚さんの「お前、赤塚不二夫の娘だろ?つまんねえな!」の一言で悔しくて火がついてヌード撮影を決意したというとんでもないエピソードがあります。

娘にヌード撮影を要求する父親もぶっ飛んでいるのですが、りえ子さんが母である登茂子さんにヌード撮影の事を相談したところ、「すごい名のある写真家にとってもらうんだから、いいんじゃないの?」という軽い感じの返答だったというので、やはり登茂子さんもぶっ飛んでいますよねw

1989年にはアルバイトとして働いていた会社の社員と結婚しましたが、1992年に離婚。

1994年にはイギリスへ留学し、1997年からはロンドンに住み、翌年ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジファインアート科に入学しアートを学んでいます。

以降は現代美術家としても多くの作品を残されています。

そして、2002年37歳の頃に、4歳年下のイギリス人と再婚し2005年には英国永住権を取得。

2006年にはフジオ・プロダクション二代目社長を務めていた眞知子さんの死去の為、長年住んでいたロンドンから帰国し、三代目社長に就任し現在に至っています。

まとめ

今回は漫画家赤塚不二夫さんの2人の妻である登茂子さんと眞知子さん、そして1人娘のりえ子さんについて調べました!

赤塚さんの後妻である眞知子さんもとても素敵な女性だと思いますが、前妻の登茂子さんのぶっ飛んだエピソードが強烈でしたね(;’∀’)

人はその人にあった人物や物事にあわないと言われていますが、まさに登場人物みんな良い意味でぶっ飛んでいると感じます!

最近では2015年におそ松くんを原案としたおそ松さんが放映されるなど、魅力的なキャラクターを沢山生み出した赤塚さん。

今後も赤塚さんの作品は色んな形で私たちを楽しませてくれることでしょう☺

最後まで読んで頂きありがとうございました!